歳を重ねるということについて

30代も半ばを過ぎたからなのか、歳を重ねるということについて最近よく考える。もちろん、絶対値としての年齢が積み重なっているという事実によってそう考えさせられることもあるだろうが、それ以上に、ライフイベントを通して、自分という人間が生きるとはどういうことなのかを突きつけられるようになったことがより大きな理由ではないかと思う。

 

歳を重ねるとはどういうことなのか。

 

無論、それは単純に心躍るというようなものではない。僕自身、幸いにして体力の衰えを自覚させられることはほとんどないものの、髪に白いものが混じっているのを発見したり、昨年病気の疑いを指摘されたりしたときは、「ああ、僕も歳をとっているのだな」と、若干の切なさを覚えた。冠婚葬祭でも、お祝いではないものが増えてきている(これからもっと増えるのだろう)。時は確実に一定のスピードで流れているのだ。僕の意識とは関係なく。日本語にはそのことを表すとても的確な表現がある――「無常」。西洋の文脈ではなんと言うのだろう?「摂理」?

 

ともあれ、歳を重ねるということに関連して、最近ひとつ心がけていることがある。「素直でいること」である。意地を張らないこと、とも言い換えられるだろう。卑近な例で言えば、「彼はすごいね」なんて会話になったら、「うん、彼はやっぱり一目置かれているだけあるよ」と特に含みなく、人の言ったことを認めるような所作のことである。これは、単純なようでいてけっこう難しい。下手に学歴が高かったり、キャリアを重ねてしまったりすると余計に素直になりにくくなる。僕自身、けっこう勉強はしてきたほうだと思うし(しかも哲学)、それなりにキャリアにもこだわりがあるので、無駄なプライドを抱え込んでしまったことが、これまで少なからずあったと思う。そしてそれはおそらく、幸福よりもむしろ不幸を僕に、そして周りにももたらすことが多かったような気がする。

 

この心境の変化はどうやってもたらされたのだろう?もちろん、意地が不幸を呼ぶという一般的法則に、経験を通して気づいたということもあるだろうし、単純に歳を重ねて角がとれてきたということもあるだろうが、僕の場合は、生活の中で妻と子どもにその大切さを教えられたということがとても大きい。彼女たちと暮らす中で毎日の中で、素直さと屈託のない笑顔が、どれだけ人と人との間のハードルを下げるかということを実感したのである。これは、子育てをしてきたことのポジティヴな副作用と呼んでもいいかもしれない。そして、素直さがある種の強さによってもたらされているとすれば、彼女たちはやはり僕を強くしてくれたのだと思う。

 

この変化はおそらく、僕のキャリアやビジネスパーソンとしてのあり方にも、少なくない影響をもたらすだろう。そしてその多くはポジティヴなものであるはずだ。Digital disruptionは今後10年ほどで経営環境に劇的な変化を引き起こすだろうし、その変化に適応するには、素直さ=柔軟性が必要不可欠であるからだ。もちろん、実業の世界では、事象や言明に対する健全な疑いも必要ではある。だがそれは、素直であること相容れない種類のものではなく。むしろ、ビジネスの世界で身を立てていく上では揚棄されなければならない二概念である。

 

…などと書いていたら、Field of viewの「突然」が頭の中に流れてきた。「今度こそは意地を張らない」である。考えてみれば90年代のポップスを「いいなあ」と思えるようになったのも素直さの発露なのだろうなと思う。

 

あなたは最近素直になれていますか。うーんと考えこんでしまった人、まずは身近な人に「いつもありがとう」と言ってみるといい…かもしれない。