壮行会

7月も半ばなので当たり前なのだが、毎日毎日うだるような暑さである。それによって我が家のゴーヤの発育がよくなっているのはいいことなのだが、こう雨が少ないと、だいたい水不足になるか、秋口にひたすら雨が続くかというあまり好ましくない二択になってしまうので、少しは雨雲にもがんばってほしい。

 

☆☆☆

 

ビジネススクールの入学壮行会があった。この間とは別の某外資系高級ホテルの高層フロアでの開催。何人かの友人にも会えたし、これから同級生になる人とも話すことができたのはよかったのだが、正直なところあまり面白くなかった。結局、僕はお高いホテルで、舌をかみそうな名前の料理を立食で食べながら、ビジネスやら経済やらの話をするというのがあまり好きではないのだ。僕はもっと地に足が着いたものが好きなのだ。皆しかるべき苦労した上で合格を手にして、これから留学で意気揚々としているところにあまり水を差したくはないのだが、そういう高揚感みたいなものを感じると、僕はひねくれものなのか少し冷めてしまうところがある。もちろんこれは誰のせいでもないのだが。

 

全体の会が終わった後は、ビジネススクールの予備校で一緒だった友人と二軒目に行く。留学から帰ってきて戦略コンサルに転じた彼は、以前会ったときよりもずっとたくましく、楽しそうに見えた。こういうのを見ると、男性にとって仕事が充実しているということがいかに重要かということを思い知らされる。クラスメイトにジョージ・クルーニーの従兄弟がいたとか、メキシコの某資産家の息子がいたとか(ファーストクラスしか乗らないとのこと)、なかなかスケールの大きな話も聞けた。世界での相対的な経済的重要性が低下し続け、生活保護世帯が増加し続けているこの国のことを思うと、それらはおとぎ話のように感じられる。でもそれらはどちらも事実であり、平行して存在しているのだ。そんなことを考えていたら僕はまた頭が少し混乱してきた。帰りの電車では車両全体から中年男性の体臭とビールの匂いがした。この世界もまた平行して存在しているのだろう――サラリーマン・ワールドという世界だ。

 

☆☆☆

 

帰宅して、旧くからの友人に電話して一時間ほど話す。昔からの友人とゆっくり話すというのは、頭が混乱したときや、自分の立ち位置を確認したいときの特効薬みたいなものである。最近あったこと、SNSの悪口、宇多田ヒカルのアルバムの素晴らしさ、ドナルド・トランプの凄みなどについてダラダラと話す。こういう雑多な話題を雑に話せるのはやっぱり昔からの友人だよなあとしみじみ思う。社会人になってから、とりわけ30歳を超えて知り合ったような人とだと、なかなかこうはいかない。まあこの話はまた別途書こう。

 

☆☆☆

 

今日はもう少しファイナンスの本を読んだら寝る。明日は休日出勤。

統計家と生きる意味

「そもそもなんで統計の仕事を始めようと思ったんですか?」と僕は彼に訊いてみた。

 

「高校の頃だったと思うんですけど」、彼は少し照れ笑いを浮かべながら話し始めた。「人が不幸になるのは、予想できないことが起きたときじゃないかと思ったんです。災害しかり、病気しかり。いくら悪いことであっても、きちんと予想と備えができていれば、その不幸はいくらかおさえることができる。それが統計に興味を持ったきっかけだったと思います」。

 

僕は彼のことがちょっと好きになりそうになった。変な意味ではなく。

 

「で、大学で統計を専門的に勉強しようと思ったんですけど、日本の大学で統計を専門にしている学部を置いているところはない。社会的なニーズはすごく高いし、USやUKだとたくさんあるんですけどね。だから工学部に入って、副専攻のような形で統計を勉強しました」。

 

僕は彼の話を聞きながら、ほとんどロックンロールと女の子、それに自分のことしか考えていなかった高校時代の自分のことを思って、ちょっと恥ずかしくなった。愚かな自分を省みながら、僕はもうひとつ質問を投げかける。

 

「ものすごく激務だと思うんですけど(僕はこの部門の経営管理を担当しているので、残業時間なんかはよく把握している)、それを支えているモチベーションの源は何なんでしょう?」

 

「僕は生きることの意味って、なにかを遺すことだと思うんです」、彼は言う。

 

「例えばそれは…生殖とか、知的資産とか、そういうことですか?」

 

「生きることの意味」という言葉に対して、ちょっと僕は知覚過敏気味である。

 

「遺すものそれ自体は、本当に人それぞれだと思うんです。僕の場合は、仕事を通して、新薬が世に出て、それで助かる人がいるっていうのがやっぱりすごく大きいです。とはいえ、やっぱり「何で生きてるのかな」ってもやもやしちゃうことも多いですけど」

 

僕なんか毎日ですよ、と僕は続ける。ああ、この人かっこいいなあと僕は思った。

 

「生きる意味」――僕はその言葉を反芻する。ここにささやかな文を記しながら。

 

僕は何かを遺しているのだろうか?遺すとはどういうことなのか?たぶん後期のデリダだったら、このテーマだけで一冊の本を遺しただろうなあ、そんなことを考える夏の夜。

 

 

 

夏がはじまるよ

本格的に暑くなってきた。同時に予算関連の業務も始まり、年一番の繁忙期に入ろうとしている。そんなときでも家庭内労働の量は減るわけもなく、結局優先順位の低い事項をバッサバッサと切り捨てることでなんとか日常が回っている。そんな風に、慌しい夏が今年もまた始まろうとしている。

 

☆☆☆

 

結局旅行先はグアムということになった。当地を訪れるのは会計士試験のとき依頼で、実に8年ぶりということになる。いろいろ悲喜こもごもの思い出がある場所だけに、今回家族を連れて行くことができるというのはなんだかうれしい。その頃よりは多少運転技術も英語能力も向上したので、今回は島の南側をゆっくりとドライブしてみたいと思う。

 

ちなみに、行く前にかの島の歴史を知っておこうと、youtubeでいくつか関連動画を見てみたところ、現地の人が非常に多く”self-determination”という言葉を使っていたのが印象的だった。スペイン、日本、アメリカと支配者がコロコロと変わるという数奇な歴史をたどった土地であるだけに、アイデンティティというものに対する問題意識が必然的に強くなったのだろう。僕ももちろん、自己の像のゆらぎのようなものに悩んだ時期はあったし、歴史的な重層性の踏まえた上で自己のアイデンティティについて思いを巡らせたこともあったけれど、いわゆる企業で賃金をもらえるようになり、家族を持ってそこそこの暮らしをするようになると、正直そういうことにはあまり興味が持てなくなってしまう。必要以上に自己というものに対して違和感を覚える必要がなくなってしまうからだと思う(自己に対する不満は常にあるけれど)。まあ悪く言ってしまえば、これはただの知的堕落なのかもしれない。

 

ともあれ、久しぶりのリゾート地訪問なので、少しゆっくりと楽しめればいいなあと思う。

 

☆☆☆

 

長女が算数で若干つまづき気味ということで、これから土日に一時間ずつ、文字どおりの「家庭教師」をすることになった。人にモノを教えるのは学生時代に塾講師をしていたとき以来なので、かれこれ15年ぶりくらいになる。しかしながら、今回久しぶりに娘とそういう時間を持って、僕は人に何かを教えるということにあまりおそらく興味がないし、だからあまりそういうことが上手ではないのだなあとつくづく思った。本当に教師にならなくてよかったなあと思う。そんなことを職業にしていたら、人生を通して不幸の拡大再生産をするだけになってしまっていただろう。とはいえ、週末のカフェで娘と向かい合って筆算の練習をするというのは、なかなか悪くない心持ちである。きっと将来いい思い出になるのだろう、たぶん。

 

☆☆☆

 

なんだかとりとめのない記事で申し訳ないのだが(いつもだけれど)、ちょっとバタバタしているので今日はこれくらいにしておく。今日はこれからVBAの復習と統計の勉強。外国語もそうだけれど、コンピュータ言語もちょっと使わなくなるとすぐ忘れてしまう。がんばれシナプス

プロジェクト、フィリピン、ヒカルちゃん

だいたい最近いつもそうなのだが、雑事に忙殺されて更新が遅れてしまった。何人かの友人にビールを飲みに行こうとか、ご飯を食べに行こうなどと声をかけてみたはいいものの、そちらもまったく追いついていない。35歳の梅雨もまた、社内調整に明け暮れているままに過ぎていこうとしている。

 

☆☆☆

 

前回書いたプロジェクトの続き。アメリカからお偉いさんたちがやってきて、日本のお客様にプレゼンテーションを行う。先方も社長と役員数名ということで、「ああ、このくらいの人たちが10年前の僕に対して最終面接をしていたんだなあ」と妙な感慨に打たれる。この会議では、僕と同じプロジェクトメンバーである女性が全体の進行と通訳を務めていたのだが、それがあまりにもこなれていて、同僚ながら惚れぼれとしてしまった。アメリカで高校・学部を過ごした人なので、もちろん英語は非常に上手いのだが、アメリカ人のややもするとarrogantに聞こえがちな言い分を(彼らはassertiveと言うだろうが)、日本人向けに柔らかく同時通訳するというのはプロでも難しい。久しぶりに、僕にはこのレベルの仕事はまだできないなあと舌を巻いてしまった。だいたいにおいて、事務系の仕事で能力的な違いをあからさまに感じさせられることは少ないのだが、こういう驚きがあると刺激になるし、もっとがんばらなくてはいけないなあと思う。

 

ちなみにそのプロジェクトの中間打ち上げで、USの偉い人がこんなことを言っていた。「日本のお客さんのXXXに言ったらさ、『私たちはあなた方を信用していません。あなたたちが日本人ではないからです』って言うの。本当だぜ。信じられないよな」。

 

本当に信じられないし、アメリカでこんなことがあったら大問題になると思うのだが、そういうことがあってもおかしくないのかもしれないなと僕は思った。それくらい異物に対するフォビアは、特にこの国の地方においては著しいものであるからだ。でも彼にそんなことはとても言えなかった。

 

「でも、世界は変わっているんだ。グローバル化は着実に進行しているし、彼らもそう長くそんな態度ではいられくなるだろう」、彼はそう言葉を継ぎ足した。グローバリゼーションがはらんでいる問題はある程度理解しているつもりだけれど、このときばかりは、僕の間接的な上司である、この典型的なアメリカ人エリートに同意せざるを得なかった。

 

☆☆☆

 

今年の夏休みはセブ島に行って、マンゴーを食べながらのほほんと過ごそうと思っていたのだが、気がついたらフィリピンに非常事態宣言が出ているではないか。調べると、ISの勢力が当地でかなり拡大しているとのこと。フィリピンは敬虔なカトリックの印象が強いが、ちょっと調べると特に南部はイスラム系の人口がかなり多いようである。実際にテロに会う確率はそんなに高いものではないと思うのだが、貴重なお金と休みを使ってリスクを取る必然性は毛頭ないので、結果的にはキャンセルすることに。というわけで、あと夏休みまで一ヶ月しかないというのに、夏休みの計画は再度練り直しになってしまった。困ったものである。

 

☆☆☆

 

遅ればせながら、昨年発売された宇多田ヒカルのアルバムを聴く。なんだか久しぶりに音楽を聴いた気がした。できあいの工業製品ではない、プロが技術と魂をこめて編んだ芸術作品を。どのトラックも素晴らしいけれど、やはり白眉は「花束を君に」だろう。音が泣いているのだ。ある人はルノワールの遺作である「ニンフ」を見て、「画面が泣いている」と言ったそうだが(誰だったっけ?)、この曲はそれぞれの楽器はそれぞれの仕方で泣いている、そんな印象を受ける。凡百の歌謡曲と、真の芸術作品を分かつものはいったい何の要素なのだろう――そんなことを思わず考えさせられてしまった。その問いに対する答えなどもちろんわからないのだけれど、本作は間違いなく後者に属する作品である。

 

 

ちなみに、かなりどうでもいいのだが、2曲目の「俺の彼女」は歌詞の一部がフランス語になっている。その中で”Quelqu’un à trouver ma vérité”という一文があるのだが、これが、”quelqu’un qui puisse ma vérité”なのか、それとも “quelqu’un dans lequel je puisse trouver ma vérité”なのかがよくわからなかった。前者は「私の真実を見つけてくれる人」という意味で、後者は「私がその人の中に私の真実を見つけられる人」という意味である。前者だとどちらかといえば他律的なニュアンスになり、対して後者だと自律的な含みが感じられる。この曲は男性と女性の言い分の掛け合いということもあり、この一文の語り手がどちらかというのも不明である。哲学畑出身としては、どうしてもこういうものを見ると「決定不能」と言いたくなってしまうのだが、これは歌詞に重層性を付与するために意図的に行っているのだろうか。よくわからない。

雨にたゆたう

6月の雨の日曜日というのは、人生の意味とその空しさについてぼんやりと考えるにはおあつらえ向きである。疲れがたまっていたのか、体調もあまり芳しくなかったので、僕はベッドの上で過去あったいくつかの出来事についてぼーっと考えつつ、人生に果たして意味はあるのだろうかと自分に問いかけながら午後を過ごしていた。ニーチェ稲葉浩志は「そんなもんねえんだよ」と言う。僕も賛成だ。草野マサムネはバスが揺れたらその意味がわかったと歌った。そんなわけあるかよ。35歳にもなって、こんなヤクザな命題にに思いを巡らせている不甲斐ない父親の横では、もうすぐ2歳を迎えようとしている好奇心の塊がすやすやと寝息を立てていた。村上春樹の小説の一文が、ふと脳裏をかすめる。

 

「時々、泣くことができれば楽になれるんだろうなと思えるときもあった。でも何のために泣けばいいのかがわからなかった。誰のために泣けばいいのかがわからなかった。他人のために泣くには僕はあまりにも身勝手な人間にすぎたし、自分のために泣くにはもう年を取りすぎていた」(村上春樹国境の南、太陽の西』)

 

☆☆☆

 

先週から短期のプロジェクトに駆り出されている。僕のキャリアの中ではおそらく初めてとなる戦略寄りのプロジェクトなのだが、これが大変に難しい。業界の構造や慣習に通じていなければならないのはもちろん、各プレイヤーの動きやそれぞれの会社の利害関係者の考え方などの複雑な要素をうまく消化し、会議で適切な発言をして、なおかつそれを具体的な成果物に落とし込まなければならない。英語なので、アメリカ人のチームメンバーなんかと比べられると、その点でもやはりハンデがある。まあそれはそれとして、春秋戦国時代の軍師なんてのは、おそらくすさまじいプレッシャーだったのだろうなあと思う。なにしろ国が滅んだら王様以下一族郎党皆殺しの時代である。株式会社やらLLCやらが倒産しても個人の賠償責任になることはないのとはずいぶん違う(債権者集会で罵声を浴びせられて石を投げられるのはまああるけれど)。現代の戦略コンサルの人々はどれくらいの覚悟を持って日々の業務にあたっているのだろうか。

 

まあいわゆるファイナンス、とりわけBusiness partneringのキャリアを突き詰めていく上では、ビジネス戦略に明るくならねばならないというのは自明なので、よい修行の場と思ってがんばろうと思う。そういえば実務経験が長くなってくると、古典を読むのが面白くなると大学院時代の恩師が言っていたけれど、確かに最近そういう普遍的な作品が読みたいなあと思うことが多い。ぱっと思いついたのは、『戦史』と『ガリア戦記』。ぜひ夏休みに読みたいなあと思っているのだが、せっかくの夏休みに岩波語を読んでも肩が凝ってしまうだけのような気もする。光文社から新訳は出ていただろうか。

 

☆☆☆

 

Lonely at the Top: The High Cost of Men's Successという本を読んでいる(Kindleで800円程度とかなり割安だった)。これは要するに、男性は女性に比べると孤独になりがちで、そのことが自殺をはじめとする男性の不幸につながっているという主旨の本である。なかなか示唆的なことがいろいろと書かれているので、ぜひ今週いっぱいくらい読みきって、次回はちょっとした感想でも書ければいいなあと思う。

 

なんか全体的に暗いエントリだけど、まあそういう時期なのだろう。

ヘロヘロ世代

以下は2012年とけっこう古い記事なのだが、自分のことを書いてくれているのではないかというくらいにタイムリーな内容のでリンクを貼っておく。

 

http://www.economist.com/node/21560546

 

要旨は以下のような感じである。いかにもEconomistらしい上質な英文で書かれているので、英語が得意な方はぜひ原文を参照されたい。

 

「かつて40代は年老いた親と思春期の子どもに挟まれる「サンドイッチ世代」として生きづらいものとされていたが、最近では人生で最も生きづらいのは30代となっている。子どもを持つことが遅れ気味になっている(30代)になっており、仕事盛りのタイミングがそれと重なりやすくなってきていることが原因。彼らは人生で最も仕事が忙しい時期に子育てが重なる、「ヘロヘロ世代 generation exhausted」である。この時期は、人生で最も友人が少なくなりがちで、そういった関係を育む時間もなく、有給をとることもままならない。解決策となりうるのは、やはり会社側の柔軟な対応であろう」

 

会社でこれを読みながら、ふんふんと一人でなんども頷いてしまった。しかもここで前提とされているのはおそらくUKの会社だろうから、長時間労働がデフォルトになっている日本ではこういった傾向はなおいっそう強いのではないかと思う。とはいったものの、会社がなにかしてくれるなんてことは100%ないので、ここを人生の勝負どころと思ってがんばるしかないわけである。ネガティヴに言えば、このあたりの短絡的思考が「竹やりで戦車に立ち向かう」的というか、アジア的な非効率性の温床なのかもしれない。でもやっぱり「子どもは公的サービスに任せりゃいい」なんて割り切れるほど単純なものじゃないよなあと思う。自分の子どもだもの。

 

☆☆☆

 

金曜の夜、無味乾燥な利益率の計算にほとほと嫌気がさしたので、久しぶりにポール・ユーンの『かつては岸』を読む。もう、泣きたくなるほど染みる。一文一文がセピア色なのだ。いつか確かに自分の目の前にあって、はっきりとその匂いをかいだけれど、今はもう存在していない愛しいもの――そんなものを慈しむ感情が、一文一文からあふれ出ている。一篇目の「かつては岸」を読みきったところで、過去への憧憬と切なさに耐えられなくなり、そっとページを閉じる。大好きな本だけれど、気持ちがいっぱいになってしまうからあまり読めない。

 

以下はこの作品での好きな一文である。本の帯にも使われているので、きっと翻訳者・編集者にとっても印象的な部分だったのだろう。泣きそうになる。

 

「あまりに一瞬の出来事で、男たちがそれ以外は感じずに済んでいてくれていたらと彼女は願った。人生がもう終わりなのだと知るころには、彼らはすでに海のなかで、目を閉じて海の深みに身を委ねてくれていたらと」(前掲書、31ページ)

 

☆☆☆

 

日曜日は広尾にぼんやりと散歩に行く。相変わらず無駄にハイソで、とても多国籍である。有栖川公園の中をのんびりと歩いていると、フュージョンが聴こえるので、どれどれと演奏会場へ行く。柏のPasso a Passoというグループとの由。天気が良かったこともあいまって、疾走感のある曲がとても気持ちよかった。野外でWeather Reportを聴いたら、たぶんこんな感じになるのだろう。特に印象的だったのは最後の曲で、青春賛歌全開な感じでとても爽やかだった。こういう曲を聴くと涙腺が弱くなっていけない。音楽はいいなあと思った。 今度見る機会があったら、ぜひ"a remark you made"を演奏してほしい。

余はいかにしてMBA candidateとなりしか

金曜の夜、お高いホテルのお高いフロアにあるバーのプライベートスペースで、ビジネススクールの歓迎会が開かれる。15人ほどの参加。日本人と外国人が半々くらい。こういうところにくるといつもそうなのだが、だいたい少年だったころの自分との距離にめまいがしてくる。少なくとも中学校の頃の僕には、六本木のホテルのバーでワインを飲んでいる自分など露ほどにも想像できなかった。まあそれはそうと、卒業生や現役生、入学審査官ともゆっくり話すことができてなかなか楽しい時間であった。驚いたことに、今年については、日本人の合格者はこれまで僕だけだという。もしそのままだとしたら、勉強にはとてもよい環境なのだろうが、日本関係の質問には僕がすべて答えることになるだろうから、それはそれで厄介だなあと思う。

 

☆☆☆

 

今さらという感じではあるのだが、なぜ僕はMBAを目指そうと思ったのだろう?

 

教科書的な回答としては、「外資系のキャリアなので、プロモーションのための必要だったから」とか、「体系的な経営の知識を身につける必要を感じたから」とかいうことになるのだろうが、それらはすべて副次的な理由にすぎない。結局一言で言ってしまえば、「変化が欲しかった」ということになる。それは、生活の変化でもあり、意識の変化でもある。ごく当たり前の話だとは思うが、30代も中盤に入ってくると、ライフスタイルも考え方もかなりの度合いまで固定されてしまい、良くも悪くも自分の将来にある程度の見通しが利くようになってくる。要するに、仕事をして、子どもを育て、住宅ローンを払って、ボーナスと家族旅行をささやかな楽しみにする(しかない)生活が、まあだいたいは続くわけである。人はそれを幸せと呼ぶのかもしれない。でも僕は、そこに必然的について回るマンネリズムをどうしても肯定できなかった。少なくとも自分に対しては、だ。僕はもっと自分を鍛えたかったし、ビジネスの世界で、自分の中に眠っている鉱脈がまだあるのかを、より確かな実感を持って確かめてみたかった。世界中にだって、まだまだエキサイティングな機会が山ほどあるはずだ――何しろ、「この世はでっかい宝島」なのだから。その点、学校にもう一度行くというのは、自分の中にかすかに残っている若さゆえの行動であるとも言えるかもしれない。

 

あとは、自分を徹底的に追い込んでみたかったというのもある。仕事・勉強・子育てにリソースをめいっぱい割り振って、その中でしか見えないものもあるのではないか――というのが、ここでの僕の問題意識である。まあおそらく、僕はその中でよりシビアな優先順位のつけかたを学ぶのだろう。もっと言えば、いかに不必要なものを捨てていくか、ということを。

  

まあとりあえず、まずは問題なくクラスについていけるように、予習と英語の基礎力向上に励みたいところである。

 

☆☆☆

 

ここ数週間ほど、土日はほぼ一日中子どもたちと外遊びをしているということもあって、だいたいは一週間のうちで月曜がもっとも疲れている。というわけで、今日は朝一からリポビタンをあおって、気を抜くとすぐに寝てしまいそうな自分を奮い立たせて、なんとか一日を終えた。お世辞にも華やかな一日とはいえないし、生産性もあまり上がらなかったのだけれど、まあ罵られるようなこともなかったから、まずまずと言えるのかもしれない。でもそれじゃダメなんだよ。なにかもっと素晴らしいものがきっとあるはずなんだよ…というわけで僕はまた学校に行く。35だというのに、僕はまだずいぶんと中二病の気質を残しているみたいだ。