真夏のロマン主義

土曜日は夕方から一人だったため、母校で発生した(らしい)いわゆる「チー牛立て看板」の件についてちょっと雑文を書こうと思ったのだが、当該看板もひどければ、批判しているほうも相変わらずのフェミ論法で辟易してしまうようなのだったので、言及は避けておくことにする。議論に参加すること自体が自分の政治的なスタンスを規定してしまう泥仕合であるだけに、そこに一定のコミットメントを要求されても、僕のような部外者には正直辛いものがある。まあ一介の会社員による弱小ブログなので、ここに僕が何を書いたからと言って、インターネットという大海へのインパクトという点で言えば無視できる程度のものなのだろうが。

 

☆☆☆

 

娘と2人で国立美術館に行く。彼女の夏休みの宿題のつきあいなのだが、久しぶりに2人で出かけることができたのは嬉しかった。まだ中学生なので当たり前なのだが、言うことがいちいち世慣れておらず、月並みながら可愛いなあと思ってしまう。日曜だけあって人が多くやや閉口したものの、20年来の希望だったカスパー・フリードリヒの『夕日の前に立つ女性』を観られただけでも行った価値はあったと思う。小品といってもいいようなサイズだったけれども、その中にロマン主義の息吹のようなものが渦巻いていると思うと、どうにも胸が熱くなってきてしまう。もう人類が二度と戻ることのないであろう19世紀の発熱――おそらく僕はそれを自分の人生の中にかつてあった何かに重ね合わせているのだろう。などと思いつつ、そんなことを娘に言っても「ふーんよかったね」で終わるのは火を見るより明らかなので、僕はごった返す人ごみの中、僕自身の言葉を自分の中に留めていた。発話されることのなかった、僕だけが持つ固有のエクリチュール

 

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橘玲『行ってはいけない』をパラパラと読む。やや強引な論理展開が多いのと、テーマ設定が下世話であまり好みではなかった。世の中がきれいごとだけじゃないことはよくわかっているけれど、それでも僕はそれなりの夢を見続けていたいと思う。それがどれだけちっぽけなものであっても。