真人間への道

相変わらずコンスタントにそこそこの人が訪れてくれているようなのだが、やはりあまり濃い記事を書こうという意欲に乏しい…などと頭から言ってしまうのは元も子もないのだが、プライベートに残されているリソースが少ない以上仕方ないのである(開き直り)。というわけで、申し訳程度に思いついたことを2、3記しておく。仕事のことは書かない。

 

☆☆☆

 

読書を再開した。先月まであまりにも稼働がパツパツで、家で何かを読もうという気にすらなれなかったのである。久しぶりに何を読もうかというところで、久しぶりにスタロバンスキーを手に取ってみたのだが(この人も最近鬼籍に入ってしまったようだ)、あまりアタマに入ってこない。改めて思うけれども、こういう種類の本は、競争社会でゴリゴリと仕事をしているような人間が、なけなしの空き時間で読むような種類のものではないのだろう。もちろん興味を失ったというわけではないのだが、単純に今の僕の人生のベクトルがそういう方向に向いていないという話だ。というわけで、家でも仕事と戦略の本を読む。自分が成長しているのか、薄っぺらい人間になっているのかは我ながらよくわからない。

 

☆☆☆

 

朝型生活に切り替えた。ここ2週間ほど5時台に起床して、1.5時間ほど仕事をするというサイクルにしているのだが、よく言われるように、生産性はこれでだいぶ上がったような気がする。セロトニンの力なのかよくわからないが、朝だと重めの仕事にとりかかるときの心理的障壁が深夜より2、3段階低い気がする。しかしながら、年々自分が健全になっていく(たぶん)ことを思うと、人間とはわからないものだなと本当に思う。きっと15年前の僕が今の自分を見たら、「なんだこの東急ピープル然とした小市民野郎は」とでもきっと思うだろうからだ。僕だって我ながらそう思う。でもそれはそうとして、何らかの必然性があってそうなってきたのだろう、とも。

 

☆☆☆

 

僕の歯の治療が完了するのと、次のブラックマンデーが来るのはどちらが早いのだろう?ドイツ銀行やUKのEU離脱をめぐる記事を読んでいると、どうも後者のほうが早いのではないかという気がする。国際経済はかなり危険な状況のように思えるのだが、国内のメディアからはさほど懸念が伝えられていない(ように見える)のはなぜなのだろう。単に僕がそういったものに目を通せていないだけなのかもしれなけれど。

 

37歳の打算

3連休は個人的な作業をいろいろ進める予定だったのだけれど、日ごろの疲れと子どものフォローに追われ、やはりこの二日の作業進捗は好ましくない。「とにかく30代はアクティヴに」ということを意識して、都内でも最も交通の便にすぐれたエリアに居を定めたはずなのだが、沼のような日常の中に僕はどっぷりとはまり込んでしまっている。そんな中で、チームの女性が――彼女はまだ自由の身だが――ベラルーシやらスリランカやらに軽々と出かけていくのを見ていると、羨ましいとは思わないにせよ、なかなかうまくいかないものだなと思う。

 

☆☆☆

 

だんだん中学受験周りが騒がしくなってきた。明日も予備校?の話を聞きにいく予定。正直言って、自分がまったく経験していない分野なのでほとんど手探りなのだが、どの業者に話を聞いてもホラーストーリーで攻めてくるので、聞いていて疲れてしまう。一方の僕は僕で、フーコーなんかかじって、教育とは国家的訓練のシステムであり…とか言っていたわりに、やっぱり子どもにはそれなりのところには行ってほしいという思いはあるわけである。結局これは予備校と親との打算の上に成り立つビジネスなのだろうな。

 

☆☆☆

 

マウスをトラックボール式のものに変更した。かなり素晴らしい。

伊勢

久しぶりに伊勢に行く。前に行ったのはもう何年前になるだろう?家族をかの地に連れていくのは、ここ5年ほど僕の目標のひとだっただけに、妻と子どもを連れて早朝の外宮の鳥居をくぐった時には、なかなか感慨深いものがあった。神社を訪れるのは元々好きなほうなのだが、今回このタイミングで伊勢を訪れたくなったのは、どこかしら出口のないように思われる日々に救いのようなものを求めていたのかもしれない。それくらい僕は資本主義の檻のなかに深く入りこんでしまっている――何しろ、資本主義を推進していくのが仕事なのだから。

 

帰りは名古屋に寄ったのだが、こちらではあまり動けず。都会の観光は子ども連れだとなかなか難しい。

 

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相変わらず疲れているのでこのくらいにしておく。明日は横浜でオフサイト。毎日毎日追われ続けたままで、僕は本当にどこかに行けるのだろうか。サラリーマンというフィールドでは、程度の差はあれば結局似たような人生なのではないかという気がする。だからこそ次の舞台へ。

時間泥棒

いつの間にか夏が終わろうとしている。ピークの時の暑さはそれなりではあったけれど、夏と呼ぶのが憚られるくらい、短く、ささやかな夏だった。北海道へ家族旅行に行った時間を別にすれば、僕はコンクリートジャングルの真ん中で嫌になるほど仕事をしていた。これまでのキャリアの中でも、盆の時期にこれだけ集中的に仕事をしたのは初めてだと思う。なにしろ毎晩毎晩25~26時まで毎日PCを叩いていたくらいなのだから。会社が求めているものなので仕方ないのだが、こんな時期に丑三つ時近くまでしゃかりきになって働いていると、さすがの僕もご先祖様に申し訳ない気持ちになってくる。ともあれ、そういうドタバタした日々が、37歳の僕のリアリティであり、日常である。会社の人々は、いつも僕に「頭を使え、それがお前の仕事だ」と言ってくるけれども、そういう環境で本当に頭を働かせたら、「なぜ働くのか?」とかそういうメタな方向にばかり行ってしまいそうな気がするのだが、それは僕があまりにも疲れているだけかもしれない。

 

 閑話休題。我ながら、相変わらず仕事の話題が多く、面白みのない人間になっているような気がする。たぶん実際そうなのだろう。なけなしのプライベートの時間はほとんど家族とのそれに充てているから、深い部分の自分と向き合うなんていう贅沢は今の僕にはほとんど許されていないのだ。考えてみればこれはとても残念なことである。ベートーヴェンピアノソナタ31番を聴いて、「ああ…」とようやく思えるようになった自分に、じっくりとひざを突き合わせて話合うことを放棄しているにも等しいからだ。おそらく自分の内面は、何年も人が住まなくなった家の庭のように、雑草だらけの状態になってしまっている――子どもが生まれて以来、僕はそれを放棄してきたのだ、人生における宿命的な優先順位付けのために。そして、おそらくは、僕は少しずつその手入れを始めねばならない。手のかかる作業だ。

 

たぶん必要なのは、まとまった一人きりの時間だ。21歳の夏、南仏の熱い太陽の下では、そんなものは本当に掃いて捨てるほどあった。そして、その余剰は、多少いびつな形をとりながらも、僕という人間に人間としての陰影を与えてくれた。それから16年、日常のあらゆる時間を奪われ、文字どおり時間を買うようになった自分がここにいる。なんだか『モモ』みたいな話だ。そして、その中で自分という人間がだんたんと失われつつあるのが、自分でも感じられる。知らないうちに、僕は自分を工業製品化し、また商品化しているのだ。

 

抵抗せよ、と自分に向かってささやく。敵があまりにも巨大なのを知りつつも。そういう人間の一縷の可能性みたいなものに掛ける、そういうのも悪くないんじゃないかなという気がする。そんなことを書いていたら、なんだかハイデガーなんかが読みたくなってきたけれど、あの巨大な会社にはとても対抗する気にはなれない。ハイデガーのナチ問題なんかも、実は構図としては同じなのでは…というのはちょっと筋の悪い読みだろうな。

現代のシーシュポス

ずいぶん疲れている。仕事が多いことによる肉体的・精神的なものがその原因であることは疑いようもないが、ちょっともう少し視野を広げてみると、会社に勤めることや東京に住み続けること自体にやや限界を感じ始めているのかもしれないなとも思う。会社は変われど、根本では同じライフスタイルをもう13年も続けているのだから、まあそれは不思議なことではないだろう。もしかしたら、一種のミッドライフクライシスみたいなものなのかもしれない。現に最近、昔欲しかったものが気になることが増えた。例えば、「久しぶりにバイクに乗りたいな」だとか、「ゆっくりギターを弾きたいな」だとか、そういう話だ。週末にまた『グレート・ギャツビー』を手にとってしまったのもそのひとつと言えるかもしれない。郊外でのキャンプなんかにも最近無性に惹かれる。たぶん人生を大きな流れで見ると、また大きな価値観の変化の時期に来ているのだろうなと思う。

 

そんなことを思いながらも、明日は明日で、また連休明けの現実が待っている。とりあえずなんとかそれをやりすごしつつ、long termの人生をデザインしなければならない。空気の薄くなっているところで人が暮らし続けるのは健全とは言えないからだ。40歳まであと2年半。残された時間はあまり多くないのでは、という気がする。

なんとか生きているのだが

さすがに金曜の深夜に2時間半ぶっ続けで説教されるのは辛い(10:00~12:30)…。"Don't take it personally"とよく言うけれど、150分に渡る説教を個人的に受け取らない人がいたらぜひ会ってみたいところである。誰かにグチのひとつも言いたいのだけれど、ここしか書くところがないのでここに書く。本当にどうすればいいのだろうな。こういうのを日本の労働文化として片付けてしまうのは、おそらく短絡的でよくないんじゃないかと思う。卑屈にならないっていうのもなかなか難しい。うーん。

 

アウトプットをしなくては

最近あまり更新できていない。無駄に忙しいせいである。新しい会社にきて9か月ということで、ほぼ完全になじんだ一方で、だんだん成果物の質を担保できないタスク量になりつつある。相変わらず深夜も働いているので、プライベートとのバランスも良くない。自分のパフォーマンスについてのネガティヴなフィードバックも耳に挟んだ。仕方ないと思いつつも、やはりブルーになってしまう。棚卸しと休みが必要な時期なのだろう。まあ夏休みも近いのでちょうどいいと言えるかもしれない。

 

それはそうと、もうひとつ別にビジネス、あるいは特定のテーマに特化したブログを始めようかなとふと思いはじめている。自分のビジネスを始めるにあたっての助走としてよい取り組みではないかなと思ったためである―—とても小さな一歩ではあるけれど。

 

考えてみると、これまで僕は「読み手のためにコンテンツ」を発信したことがない。このブログなんて徹頭徹尾僕の戯言で、お客様視点みたいなものは猫の額ほどにもないし、実際意識したこともない。まあそれはそれでいいと思うのだが、もういい大人だし、それだけじゃマズイよなというのが問題意識である。また自己認識として、自分が世の中で偏差値70である能力は自分の中にないと思うのだが、60くらいのものだったらたぶんいくつかあるし、その掛け算がけっこう面白いのでは、という仮説もある。たぶん、哲学系MBA外資系IT経営企画というプロファイルだけでもけっこうデビルマンな感じでいいんじゃないかという気がする…気のせいかもしれないが。

 

しかしながらこう見ると、これらの文は本当にどうでもいい独り言だな。こんなのでも定期的な読者がいるというのは驚いてしまう一方で、そういうviewのひとつひとつが自分の書く力、ひいては生きる力になっているという点でありがたく思っている。

 

というわけでまた次回。そのときには夏らしい日々になっているとよいのだが。