ロシア上空より愛をこめて

ロシアの上空のあたりを飛んでいる。暇である。普段10時間以上も連続で暇になることなどほぼない上に、飛行機の上で(それもcattle classで)できることなど限られているので、必然的に手持ち無沙汰になる。というわけで、今できるもっとも生産的な活動ということで、ブログのドラフトを書いておくことにする。

 

☆☆☆

 

学校が始まり、1年間つきあうことになるグループが決まった。僕のチームは、ペルー人男性1名、インド人男性1名、シンガポールの女性2名、それに僕である。グループを決める際は、参加者のバックグラウンドを完全に分けるのが通例なのだが、シンガポールからの参加者が多いこともあり、こういう措置になったようだ。例によって英語がノンネイティヴなのは僕だけなのだが、まあそういうシチュエーションには慣れているのでそれほど驚きはない。すでに一度チームでオンライン・ディスカッションをしたのだが、年齢や国籍をあまり気にすることもなく忌憚のない話ができるのはやはり素晴らしいなと思った。そういう環境と、あきらかに風通しに問題のある、封建主義の末裔のような職場とを比べてしまうと、正直若干辛くなってくるというのは否めない。まあそれは後々解決することとして、とりあえずはこれから現地で6日間の連続講義が控えているので、なんとかクラスに貢献したいところである。毎日9:00 – 21:00のブートキャンプ形式ということもあり(シエスタなし)、若干懸念もあるが、それ以上に楽しみという気持ちのほうが強い。

 

☆☆☆

 

先ほど”Collateral beauty”という映画を見終わった。大人向けの映画をまるまる一本見ることができたのはずいぶん久しぶりである。僕が自発的に映画を見るのは、いくつかの例外を除けば、飛行機の中の暇つぶしのときだけなので、出張の少ない現状を考えると、映画を最近見ていないのもむべなるかなというところである。映画は内容のいまいちよくわからないところもあったのだが、キャストはやたらと豪華で、その中でもウィル・スミスの身を持ち崩した感じが堂に入っていたのがとてもよかった。”Pursuit of happiness”もそうだったけれど、彼はそういう役が本当によく似合う。あと、このの”Collateral beauty”では、「娘を失う」というのがひとつのモチーフになっているのだが、これは娘を持つ父親として、相当涙腺にくるものがあった。

 

追記: 飛行機を降りてから、”Collateral beauty”の邦題が「素晴らしきかな、人生」であったことを知る。うーん…。

 

☆☆☆

 

読んだ本。

 

リンダ・グラットン『ワーク・シフト』

 

世間の流行からはずいぶん遅れているのだが、ようやく手に取ることができた。本書は、僕が最近常日頃から考えている、「未来の労働環境はどう変わっていくのか、その中で幸せに、しなやかに働いていくにはどうすればいいか」を論じた本である。おそらくは僕が著者と同じような問題意識を抱えているからだろう、久しぶりにページをめくる手がとまらなかった。やや冗長さを感じさせる部分もあるものの、日本という限定された環境で働いていると、この本が提唱するような点を意識するのはなかなか難しいと思うので、その点、本書の啓蒙書としての役割は大きいのではないかという気がする。

 

それにしても、本書の原著が世に出たのが2010年で、僕がこの本と同じようなことを2017年になって考えていると思うと、著者の慧眼をたたえるべきなのか、それとも僕の意識が時代からまったく遅れているのか、どちらかわからなくなってしまう(たぶん両方なのだろうが)。まあこの7年間については、僕は仕事と子育てにずいぶん忙殺され気味だったので、仕方ないといえば仕方ないような気もするが…。

 

☆☆☆

 

明日は時差調整で一日フリーにしているので、余力があればもう一本記事を書きたいところである。      

 

*ワタシとプライベートでお付き合いのある方、なんかここ一週間ほど電話にトラブルがあってメールが受信できてません…。追って対応します。

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相変わらずとバタバタとした日が続き、あまり自分のことを深く省みる余裕もないのだが、備忘がてらにここ一週間ほど何をしていたのかを記しておく。

 

☆☆☆

 

先週末は、進学するビジネススクールの懇親会に参加。会場は夏と同じ都心の外資系ホテル。参加していたのは全部で15人ほどだった。いちおう新入生代表として簡単に挨拶をする。ワインを飲んでいると、20年くらい前にこの学校を卒業したというコロンビア人のバンカーから、「俺、実はライターなんだ」と著書を手渡される。いやはや、いろんな生き方があるなあ。また、一年先輩にあたる女の子からは、「えー、スマホ持ってないの?」と驚かれる。確かに、ここから3ヶ月くらいで海外の友人が30人くらいは増えるだろうから、ガラケーでは若干心もとない。いわく、「スペイン行くまでにスマホ買って、FacebookInstagramとWhatsAppのアカウント作っといてね」とのこと。けっこうな手間である。SNSやりたくないなあ…。

 

☆☆☆

 

月曜。午後に内視鏡検査を控えていたので、午前中は家で黙々と下剤を飲む。そんなに不味いわけではないのだが、1.5リットルというのはやはりなかなかヘビーである。ともあれ、しかるべき量を飲むと、しかるべき量のお通じが出るので、やはり体というのは優れたシステムだなと感心する。

 

午後は検査を受けに病院に行く。それなりに怯えていたし、「ああ、ワタシの操が…」とかバカなことを考えてもいたのだが、なかなか素敵な助手のお姉さんに鎮痛剤を打たれたら、ほぼ全身麻酔状態ですっかり眠くなってしまい、気がついたら検査は終わっていた。「なにも見つからなかったです。きれいな腸ですね」とのこと。まあ何事もなくてなによりである。ボーっとした頭を抱えながら、そのままスマホを買いに行った。

 

☆☆☆

 

毎日毎日キャリアのことばかり考えているからなのか、ここ2週間ほどリクルーターからやたらと勧誘メールがくる。アメリカの景気が過熱気味ということもあり、各社かなりアグレッシブに採用をしたい時期なのだろう。とはいっても、Linkedin経由で打診があるのは、ほぼ即戦力求人のみであり、そういう意味で僕にとってうまみのある話というのはほとんどない。給与が多少上がったところで、これまでと同じことをするのであれば、キャリア上の資産はほとんど増えないからである。まあいい、とにかくゆっくり悩むことにしよう。

 

☆☆☆

 

というわけでさきほど36歳になった。36歳――なんだか中途半端な年齢だ。正直あまりこの年齢にこだわりはない。おそらくこの1年は、時間的にも金銭的にも、人生で最も大きな投資をする一年になるだろう。そうして培ったものが、37歳で大きく花開けばいい――そんなことを考えている。ずいぶんと騒がしい一年になりそうだ。

 

ちなみになぜ37歳のほうが好きかというと、素数であるということと、『国境の南、太陽の西』の主人公が37歳であるからというのがその理由ではないかという気がする。「年齢は素数に限る」なんて聞いたことはないけど、素数の年齢ってなぜか少しセクシーに感じるのは僕だけだろうか。

雨に唄う

けっこう雨は好きなほうなのだが、週末にこれだけ雨が続くとさすがに気が滅入る。自分だけだったら別にそんなに気にもならないのだろうけれど、子どもたちを外に出してあげられないのはやはり辛い。昼間にある程度散歩や公園遊びをさせておかないと、夜の寝つきが絶望的に悪くなるからである。それに、天気が悪いと、家の片付けなんかもあまり効率よく進まない。あれはやはり気圧の関係なのだろうか。

 

☆☆☆

 

雨とはいえ、なんとか次女を歩かせなければならないので、家の最寄り駅周りのビル内をぐるぐると一緒に回る。その後は、絵本を読ませるためにTSUTATAに寄る。駅の周りは人もまばらだったのに、なぜかここだけはコーヒーを片手に読書を楽しむ人でにぎわっていた。中ではビリー・ホリデイの古いレコードが小さなボリュームで流れており、その気だるさが外の雨と調和して、なんだかそこだけがどこか別の国の知らない場所のようだった。しかしながら、自分の音楽が21世紀の日本で空間演出的な使われ方をするなんて、当のビリーには想像もできなかったのではないか。果たしてそれは彼女の音楽への正しい向き合い方なのだろうか。

 

☆☆☆

 

渋谷にシンフォニック・ゲーマーズというゲーム音楽のオケを聴きに行く。天下のde-facto国営放送様が出資しているので、演出は例によって無駄に豪華なのだが、その一部が僕の上納金でまかなわれていると思うとなかなか複雑である。ともあれ、席もいちばん前のほうだったので、コントラバスの音が体の中のほうまで聴こえてとても気持ちがよかった。FFとロックマンのところで、「ああ、僕も昔はゲームバカだったなあ」などと思い出していたら、何度か涙腺に刺激を感じてしまう。演奏する側のサービスなのだろう、例の「おっくせんまん」はコーラスが2回繰り返されていた。テレビでの放映は確か11月12日との由。

 

☆☆☆

 

ビジネススクール予備校時代の同期が、PEファームに入社していたことを知る。だいたいMBAを取得した人だと、それぞれなかなかエッジの利いた仕事に就くことが多いのだが、身近でPEに行った人はいなかったので、これはなかなか驚いた。その他、僕の行く学校の先輩も、世界的プロフェッショナルファーム(MBB)にいる人やら、自分でビジネスを立ち上げている人がやら多く、正直なかなかプレッシャーを感じているところである。もう一人の僕は、「いやいや、お前はお前のやるべきこと・やりたいことに集中しろ」と僕に言ってくるのだが、それでもピアプレッシャーを感じてしまうのは人間の性である。とはいえ、ここまでの人生で死ぬほど「他者の欲望」に悩まされてきたのだ。35歳というのは、それと決別するにはとてもいいタイミングだと思う。

 

それに絡んだテーマで、ColumbiaでMBAを取得した方のブログに、とても勇気づけられる言葉が書かれていたので、以下に記しておく。Leadershipの授業からの抜粋とのこと。

 

  • Anchor yourself in your values and purpose
  • Harness your emotions and thoughts in the service your your values (ママ)
  • Kindle a flame of love that expands your sense of self
  • Continually awaken more of your Higher Self
  • Cultivate your inner core - a state of pure consciousness beyond your thoughts, emotions and actions

 

なんかもう泣きそうになる。日本の学校でこんなこと教えてくれるところあるのかしらん。まあこういう言葉が染みるようになるのは、現実社会でのしがらみを覚えてからだろうなあ。少しずつでもいい、なんとか進もう、と思う。

 

人生の快楽

急に寒くなったので、ココアをちびちびと飲みながら、キーボードを叩く。ブログを書くというのも、基本的には好きなことを好きなように書くだけではあるのだが、寒いとどうも文の切れのようなものも鈍る気がする。文とは然るに身体そのものなのである――なんて言ってみたくもなるけれど、実際のところどうなのだろう。実感としては当たっていると思うのだけれど、そうなると主体とエクリチュールを極力別のものとして扱おうとするバルトやらデリダやらの立場は、やはり現実にそぐわない衒学的立場ということになるのだろうか。

 

ちなみにルソーは主体のうちに自己を見出すのではなく、エクリチュールにこそ自己が宿ると考えていたようである。「むすんでひらいて」を娘と歌いながら、そんなことを思い出している。

 

☆☆☆

 

学校のプレコースが始まった。会計のテストは一発クリア(けっこうプレッシャーだった)。今はそれに加えて、Web上でプログラムの参加者が自己紹介をしているところなのだが、さすがに変な奴…というか、いろいろな国籍・バックグラウンドの人がいる。ハンガリー人とかペルー人なんかは、日本で仕事をしているとあまり関わることがないので、なかなか新鮮である。僕以外のもう一人の日本人男性は、もう自分でホテルを経営しているとのこと。こうなると、僕のような事業会社勤務というのはどうもインパクトにかけるきらいがあって、やはり「ああ独立したいなあ」と思うようになる。実際、ここ1ヶ月くらいの逡巡――頭の中だけだが――を経て、もういわゆる大企業での出世にまったく興味がなくなっていることもあって、真の意味で「どう身を立てればいいのか」というのが、自分の中で重要な命題になりつつある。まだ始まってもいないけれど、そういった問題意識を強く持つことができただけでも、MBAに投資した価値があるというものだろう。

 

☆☆☆

 

「人生の快楽」と銘打って、時間・富・倫理などの制約なしで、やりたいことをランダムに書き出してみる。

 

・年商100億円以上の法人をつくる(チャンジングだが、不可能ではなさそう)

・好みの女の子と好きなだけセックスする(罪悪感と後腐れがないのが前提だが、そんなことはありえないし、ROIは極めて低そう)

・『カラマーゾフの兄弟』に比肩する小説を書く(これは解脱しないと無理なのでは)

・”Secret story”を超えるアルバムを作る(これは解脱に加えて、また「マジで首吊る5秒前」レベルの失恋しないと無理)

・『人間の条件』を超える論文を書く(上記ふたつよりはハードル低そう。アーレントはなんというか、哲学者の中では、「手の届きそうなかわいい子」のようなイメージがある。ハイデガーなんかはもう雲の上感があるのだが、この人が美しかった若き日のアーレントとパコパコしまくっていたことを考えると、どうにもいろいろやりきれないものがある)

・肉体改造してトライアスロンに出る(この中では明らかに一番ハードル低い。超自己満)

 

だいたいこんなところである。これらを見ると、僕は苦労が伴わないものにあまり興味がないのだなあと思う。たぶん困難な課題を見つけて、それを克服していくというプロセスが好きなのだろう。まあそうじゃなかったらMBAなんか行かないよなあ。

 

☆☆☆

 

選挙で街はずいぶん騒がしくなっているが、あまりにプロレス的というか、筋書きが決まりすぎていて、正直呆れているところである。こんなのに何百億かよ…と思っているのは、たぶん僕だけではないだろう。まあ万が一自公が過半数割れなんてことになったら、日経平均の暴落は確実なので、ちょっとそれはそれで困るところである。とはいえ、株価もQEというモルヒネで吊り上げられているだけなのは明白なので、遅かれ早かれまた厳しい時期はやってくるだろう。残念だが、僕たちが生きている間に、日本経済の本当の復活などはありえない。いわば僕たちは撤退戦を戦うための準備をしなければならない時期なのだが、それを考えると、ますます選挙なんかやってる場合じゃないよなということになってしまう。どうしたもんかね。

内臓に問題があるかもしれないぞう

久しぶりに半日の自由時間を与えられる。髪を切り、ランニングでたっぷりと汗を流し、ワードローブを整理し、靴を30分かけて入念に磨く。そうこうしているうちにあっという間に日が暮れる。「16時半の恐怖」はあまり感じない。にんにく、たまねぎ、ピーマン、小松菜、にんじん、無塩せきのソーセージ、それにスパゲティを適当に絡めて、和風パスタを作る。こういう雑な料理は、こんなときでもないとなかなか作れない。

 

食後、コーヒーを片手に『あひる』の残りをゆっくりと読んでいると。グールドのop. 118-2に耳を奪われ、ふいに涙がこぼれる。なんという音楽なのだろう。バックハウスもポゴレリッチも素晴らしい録音を残しているが、グールドの描く世界は他の誰よりも圧倒的にセピア色である。そういえば、Youtubeにある同曲へのコメントで、”This song was the first song that ever made me cry for no reason"というものがあった。僕もまったく同感だ――いや、ひとつの点を除いて。涙が出るのは、決して”No reason”ではない。涙の対象となる過去が存在するからこそ、そこに感情が注がれるのだと思う。そんなことを考えながら床に就いた。

 

☆☆☆

 

本当はこの間買った大阪ソーダをもう少しホールドしようと思っていたのだが、株式併合によってずいぶんと下値リスクがちらついているので、今週どこかのタイミングで売ろうかと思っている。しかしながら、足元の株価はどこもかしこも高すぎて、お金の置き場に困っているというのが正直なところである。ダウなんか明らかにバブルの感があって、多くのエコノミストが予言しているように、この10月~来年にかけて、そろそろ大規模なクラッシュがあるのではないかという気がする。地震と同じで、いつかそれは必ず来るのだが(例えば1987年のように)、いつくるのか、何が引き金になるのかは誰もわからない。まあもしそれが起きたら起きたで、投資には絶好のチャンスなのだが、ジョブマーケットは尋常ではない冷え込みになるだろうから、なかなか悩ましいところである。

 

☆☆☆

 

健康診断の結果を受領する。

 

「視力が下がっています」…毎日アホみたいにPCばかり見ているので当然である。

「LDLコレステロールがやや高めです」…検査の2日前の串揚げのためだろうか。

便潜血内視鏡検査を受けてください」…???

 

と、いきなり内視鏡である。オリンパスである。「疑われる病気」のところを見ると、「大腸がん・大腸ポリープ・痔」とあって、これまたなかなかハードモードである。まあふつうだったら尻から血は出ないはずなので、なにかしら原因があるのだろう。

 

というわけで、学校開始一ヶ月前にして、内視鏡という一大イベントになってしまった。レディースクリニックでの精液検査も相当抵抗があったが、さすがに今回ほどではない。前者だとまだ若干エロティックな妄想(うまく出せないんですか?じゃあ私が手伝いますね…とかのアレ)もできて面白い部分があるのだが、尻にカメラを突っ込まれても、ヘテロセクシュアルの僕には何のうまみもない。まあ人生経験と思って受け入れるしかないのだろうが…。

 

☆☆☆

 

というわけで、グールドで情感たっぷりに始まったのに、秋の情緒どころではなくなってしまった。よくわかんないけど、とりあえずピースマークを送るぜ。この素晴らしい世界へ。

35歳と意味の解体

運動会の振り替え休日で娘が休みだったので、僕も代休をとって、二人で横浜に散歩をしに出かけた。僕にとっては第二の故郷ともいえる、大好きな街だ。東京から電車で30分くらいしか離れていないのに、風景も人もずいぶんと違うものだなと訪れるたびに思う。あいにくの曇り空ではあったけれど、みなとみらいの空気はいつもと変わらず心地よかった。都会的ではあるけれど、親密さを感じさせてくれる土地というのはずいぶんと少ないように思う。

 

☆☆☆

 

だいたいあと1~2年くらいで子育てのコアタイムが終わるな、と最近よく考える。子育ては3年ごとに楽になると言うが、だいたい僕の感覚も同じようなもので、3歳でずいぶん手がかからなくなり、6歳でけっこう放っておいても大丈夫になり、9歳で手が離れるというのが、だいたいの標準的な年数ではないかと思う。手間で言えばやはり3歳までが圧倒的に大変である。そして、だいたい僕が次の学位を取得するころには、その大変な時期が終わることになる。もちろん今後も、中学受験のサポートやら、思春期特有の不安定さやら、いろいろ面倒臭そうなことはあるのだろうが、少なくとも毎日寝かしつけに1時間かかるような生活はもうすぐ終わりがくるだろう。

 

それは僕にとって何を意味するのだろう。おそらくは、言い訳ができなくなることではないかと思う。子育てが忙しい、時間がとれない…とかの、よくあるエクスキューズができなくなるということだ。これから、ずっと僕が欲していた、「自分のための時間」は少しずつ自分に返ってくるだろう。そしてそれは、何かに還元されなければならない資源である。自分に時間という財が投資される以上は、そこから社会的に価値のある何かが生み出されなくてはならない。もちろん、それが実際に何なのか、今の僕にはよくわからないけれど。

 

おそらく難しいのは、何をするべきかという点から考えはじめなくてはならないという点である(HowではなくWhat)。これまでの35年では、多かれ少なかれ、選択肢は与えられていた。どこの学校に行くか、どこの会社に行くか、等々。それに対して、35歳以降の人生で、自分で何かをしようとすれば、そういった所与の選択肢はないものとして、自分のしたいこと・するべきことに真っ直ぐに向き合わなければならない(はずだ)。今さら果たしてそんなことが可能なのだろうか――僕自身、眉につばをつけたくなるような気持ちもあるが、人生のどこかで、そういった自分のパッションに向き合うというのは、必要な行為であるような気がする。

 

おそらく重要なのは、既存の意味を一度バラバラに解体することだろう。例えば、何も週5日会社に行くことが働くことじゃないんだ、とかそういうことだ。これはなかなか哲学的な所作と言えなくもないかもしれない。

 

☆☆☆

 

ずっと読みたかった今村夏子『あひる』を読む。カフカ的とでも言えばいいのだろうか、日常に潜む危うさがうまく描き出された佳作だった。もう少し恐怖の度合いが強いほうが個人的には好みなのだが、まあこのあたりは意見の分かれるところだろう。平易な文体でつづられる、日常の描写の中だからこそ成立する恐怖の感覚があるのだな、としみじみ思う。『こちらあみ子』も近々読んでみたい。

 

しかし今村という名前を聞くと、どうしてもカオサンの喧騒を連想してしまう。あまりにも個人的な話ではあるのだが。

 

☆☆☆

 

昨年大騒ぎになった、CO2からエタノールを生成するというのはどうやらデマではないようで、現在Stanfordにおいて、銅を触媒としたエタノール生成を実用化するための研究が行われているとのこと(以下リンク)。にわかには信じたいが、実用化されれば環境問題に対するこれ以上ない解決策になるだろう。おそらく凄まじい利権が絡むことになるのだろうが…。

 

https://www.sciencedaily.com/releases/2017/06/170619165409.htm

CNT 秋の陣

今年2回目のバリウムの日が終わると同時に、9月もまた終わろうとしている。まだ日中はいくぶん暑さが感じられるが、秋の本格的な訪れもすぐそこだ。ふたつの運動会と衆院選、そして一年間の学位取得プログラムの始まりと、10月も慌しく過ぎていきそうだ。おそらくあまりネガティヴなことを考えている時間もないだろうと思う。

 

☆☆☆

 

今年最大の勝負として、4046 大阪ソーダを100万円分ほど買う。もうこれは100%上がると踏んだためである。ベストシナリオとしては、カーボンナノチューブで飯島澄男氏が今年のノーベル物理学賞→EV用のリチウム電池需要による、カーボンナノチューブ需要が急拡大、というような流れだろうか。この流れだったら、間違いなく株価は上に突き抜けるだろう。うまく化けてくれたらジョンロブの内羽根でも買おう。

 

しかしながら、半導体やら素材やらのビジネスは、大枠の話はわかっても、サイエンス的にどうすごいのかというのが実感できないのが文系出身の悲しいところである。ここに関しては、高校時代にまったくマトモに勉強しなかったことが悔やまれる部分である。バイオ系のベンチャーキャピタルの人に、「うちはサイエンス出身の人じゃなくても大丈夫ですよ」と言われたことがあるけれど、そりゃわかったようが絶対いいよなあと思う。

 

☆☆☆

 

外資系、もっと言えば外資系ヘルスケアのファイナンスというのは、なかなかおいしい、というか既得権益めいたところがあって、労働負荷に対する報酬で言えば相当に高い部類に属する。だいたい大手のCFOクラスだと、報酬も最低で2,000~3,000万円クラスで、まあ一般的に言えばまず申し分ないレヴェルである。もちろんスタッフ・マネージャクラスの報酬も高いので、みんななかなか転職しない。

 

一方で最近気になるのは、いわゆる外資系のファイナンスだと、まず経験できない分野の仕事があることである。典型的なのが資金調達関連業務で、外資系の会社で日本オフィスにこの権限を持たせているところはほぼ存在しない。一方で、ベンチャーなんかだと、この部分がうまく回せないと会社が潰れてしまうので、嫌でも向き合わなければならない。たぶん税務やIRなんかについても、平均的には、外資CFOの経験者よりはベンチャーCFO経験者のほうが経験値は高いだろう。が、後者のほうが報酬水準は絶対的に低い。

 

このあたりは自分のキャリアとしても非常に悩むところで、単純に言ってしまえば、目の前の報酬の高さを目指すのか、それとも人材としての完成とIPOの夢を追うのかという二択になるわけである。もちろん、双方にpros and consがあり、簡単に答えが出るような問題ではない。まあこのあたりは1年間ビジネススクールに通いながらゆっくり考えたいところである。

 

ちなみに、読者に以下の単語の意味をすべて理解できる人はいるだろうか。たぶん理解できるのは、外資系のファイナンスで業務経験がある人くらいではないかと思う。

 

True-up, Go-to-Market, Fire drill

 

☆☆☆

 

これからファイナンスと英語の勉強。いつになったらゆっくり哲学書が読めるのだろう。四季報アリストテレスを並べて読んでいる人というのは、正直僕もあまりイメージができないのだが、自分自身がそうであるというのはなかなか滑稽である。