暴落

明日にはシンガポールに発つ予定なのだが、なぜかこのタイミングで会社の基幹システムが止まってしまい、仕事にならないのでブログを書くことにする。

 

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ずっと来るといわれていた暴落がついに来てしまった。いろいろ読んでみると、FEB議長の交代やら、利上げやらが理由として挙げられているものの、根本的な原因を特定できていないという点では各誌共通している。今年はあまり株に時間をかけられないということで、ETF中心のポートフォリオを組んでいたこともあり、今のところ僕の資産への影響は限定的である。とはいえ、あくまでこれは「今のところ」の話であって、今後どうなるかは誰にもわからない。まあ、どちらかといえば今心配なのはジョブマーケットの冷え込みで、もしこの傾向が続いた場合、僕の次の仕事探しへの影響はおそらく避けられないことになる。これにより、消費税を上げる時期が変更されるのかどうかも当然注視しなければならない。

 

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先週末のWeb上での「あたしおかあさんだから」をめぐる議論は、子育て真っ最中の当事者として、非常に興味深いものであった。まあいろいろな意見があるだろうし、イラっとくる人の気持ちもわからなくはないのだが、僕としては歌ひとつのことをそこまで嫌うことができるエネルギーというか、偏向性のほうがよほど怖かった。これはまさに、昨年ムーニーのCMで炎上が起きたときに感じたこととまったく同じ感想である。インターネットの怖いところはまさにこういうところで、負の感情は多くの場合、熟成されないままに排出され、反響し、局地的なノイズを引き起こす。このノイズは短時間であれ、コンピュータの画面を埋め尽くすので、あたかもそれが世界の中心であるように錯覚してしまいかねない。そしてそれによって、現実に対する認知は多かれ少なかれ歪められてしまう(僕がSNSを好まないのは、この「認知の歪み」を嫌っているという点によるものが大きい)。

 

個人的には、このあたりの議論は、ちょうど18世紀のフランスで公衆・公論が生まれたころ状況と重なるものがあるように感じられる。その意味ではルソーの『対話』はもっと現代の状況に照らし合わせて読まれてもいいのではという気がする。

 

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冒頭に記載したとおり、明日から講義のためにシンガポールに行く。Whatsappを見る限り、クラスメイトの多くはもう当地について観光やら何やらを楽しんでいるようなのだが、こちらは深夜便で、到着二時間後から授業がはじまるという弾丸スケジュールで、なかなか悲哀を感じさせるものがある。まあ飛行機ではそこそこ寝られるだろうから、たぶん大丈夫だろう。やるしかないのだ。

 

そういえば、昔会計士試験を受けにグアムに行ったとき、離陸準備に入ったところで、機内の放送でマイラバの”Hello, Again”が流れてきて、運命的なものを感じたことがあった。「自分の限界がどこまでかを知るために僕は生きてるわけじゃない」という一節は、翌日に試験を控えて不安を感じていた僕に、少なからず力を与えてくれたのではないかという気がする。2009年5月28日の話。