モオパスサン

先々週にまた偉い人が日本に来てたくさんの宿題を残していった(総計47項目)。それを今度は日本オフィスの各所に預けたところで、4月からのラッシュがようやくひと段落したところである。同じ会社に4年以上もいると、必然的に目新しいことは少なくなってくるのだけれど、一方で5月の末をこれだけの余裕をもって過ごしているというのは、ここに来てから初めてかもしれない。これから人員削減を行ったことの影響が方々で出てくるのだろうとは思うが、まずは目の前に迫っている試験もあるので、一旦自分のことに集中しようと思う。

 

☆☆☆

 

というわけで、遅々として進まずながらも、試験の過去問に毎日取り組んでいるのだが、これがなかなかに骨がある。まあ1級相当だから当たり前なのかもしれないけれども、仕事で疲れたところでモーパッサンなんかを読むのは実際けっこうしんどいものがあって、先日昼休みにちょっと試してみたところ、10行目くらいまで2回ほど読んだところで思考が停止して、気がついたら浅い眠りに落ちてしまっていた。おそらくこれはフランス語だからというわけではなくて、例えば同じ時間に『彼岸過迄』を読んでも同じことになるのではないかと思う。過度な一般化をするのは望ましくないとは思うけれど、ここ100年でも言語はより大衆化して、良くも悪くも読みやすいものが増えているのではないかという気がする。とはいえ、本番のテストで19世紀の文章が出てきたら、それはそれで有無を言わず読解せざるを得ないのだが。

 

☆☆☆

 

一時期一気に落ち込んだ自社の株価がようやく持ち直してきたので、RSUを半分くらい売ってしまうかなかなか悩ましいところである。周りを見ると、vestのタイミングでさっさと売却して、VOO/VTIあたりにそのまま鞍替えしてしまうパターンがけっこう多いのだけれど、これはこれで思考を放棄しているような気もして、若干の抵抗を感じないでもない。それに、個別株の醍醐味(特にハイテク株の)として、先週のNVIDIAのように急騰するケースがあるので、わざわざそのチャンスを捨ててしまってよいのかという思いもある。もちろん分析すれば、数字の上でどちらのほうが期待値が高いか判断するのは難しくないのだろうが、どちらかというとこれは個人――職業人と言ったほうがいいのか――のポリシーの問題なのではないかという気がする。

 

☆☆☆

 

というわけで仏語の勉強をしなければいけないのだが、25時も近いのでHélène Grimaudのインタビューを軽く観て寝る(テラ美人)。この人の弾くベートーヴェンの31番は僕の愛聴盤のひとつである。

 

PS: 記事を書き終わったところで、バイエルン優勝の一報が流れてきて萎えてしまった。

落日

前回危惧していたとおり、僕が籍を置いている日本法人でもレイオフが開始されてしまい、各所で波紋を呼んでいる。幸い僕自身には特にインパクトは出ていないものの、全容を把握しきれておらず、社内でのやりとりに非常に気を遣わざるを得ない毎日である。僕が入社した4年半前は、成長率60%がターゲットとか言っていたのに、今は別の世界のようである。

 

こんな中でも僕はまた大本営発表用のプレゼンテーションを作るのだ。「XXXというお客様での採用が決まりました、、」とか耳ざわりのよい言葉を乗せて。葛藤。自我が多少なりとも発達した者であれば、誰であれその二文字が頭に浮かんでしまうような状況だろう。

 

そんな状況を体も察したのか、今週末はどうにも体調が優れなかったため、グールドのブラームスを聴きながら、甘酒を飲んでのんびりと過ごした。雨とともにこの憂鬱もどこかに流れていってくれればよいのだが。

連休も終わりに近づいて

連休ももう少し終わりである。もう少し早く書ければよかったのだけれど、4月は例年どおりの繁忙であり、連休に入っても家庭の雑事でバタバタとしていたため、どうにも筆を執る気になれなかったのである。いつものように身の回りで起こっていることをいくつか記しておく。

 

☆☆☆

 

勤めている会社で人員削減が発表され、日本の連休中から各国でレイオフが開始されている。シンガポールやオーストラリアで僕とよくやりとりしていた同僚も解雇の憂き目に合ってしまったようで、連休の始まりはなんともgloomyな気分であった。一方で、おそらく日本での本オペレーションはGW明けから開始と思われるため、週明け会社に行くのがやや憂鬱ではある。おそらく僕は担っている職務を考えると対象になる可能性は少ないとは思うけれども、絶対はないというのがこの世界の常である。もしそうなった場合、転職活動を開始しなければならない可能性もゼロとは言えない。しかしながら、過去10年ほど、とりわけ COVIDの折には栄華を誇った会社が、こういう対応を採ることを考えると、世の中というのは本当に移ろいやすいものだなと思う。

 

☆☆☆

 

久しぶりに実家に戻る。大河ドラマの影響で多少は混雑していると思ったのだが、タイミングがよかったのか、ほとんど人ごみに紛れることもなく、いつも見ていた景色にたどり着くことができた。良くも悪くも街はほとんど僕が知っている姿のままで、そのことは幾分か僕を安心させてくれた。おそらく変わっているのは僕のほうである。時間の使い方や生活のリズムが、地元のそれとはもはや完全にと言っていいほど合わないのである。懐かしさや思い出は、現実的な暮らしやすさや快適さとはまったく次元の違った審級にある価値なのだなと改めて思った。

 

☆☆☆

 

連休中は、ヨルシカの「ヒッチコック」をよく聞いた。暖かくなって良質なポップスが聴きたくなったのもあるだろうけれど、詞も曲もまるで高校生の自分が書いた気がするほどに自分に近しいものであったというのが一番の理由かもしれない。「生きてるだけで痛いんですよ」とかまっすぐに歌われると、10代の頃に感じていたような痛みの存在を思い出してノスタルジックになってしまう。この曲もそうだけれど、顔も見たことのないこのヴォーカルの女性は、どうにもなんか腹立つんだけれど好きになってしまうような、不思議な魅力を感じさせる(たぶんそういうのを偏愛というのだろう)。

 

☆☆☆

 

閑話休題。連休明け一日目は雨の予報である。どうかその日が嵐の一日になりませんように。

桜雨の日

という風流じみたタイトルをつけてはみたのだれど、実際にはスローペースの、business as usualな日であった。前に雑文(というかメモ)を書いてから2週間くらいなので、その間にあったことを例によって簡単に記録しておく。

 

☆☆☆

 

韓国に行く。一日目はソウルオフィスで終日働き、現地の同僚と焼肉を食べる。新卒の女の子がとても可愛らしくてちょっと羨ましかった。2日目は博物館を見学した後に結婚式へ。当地の結婚式は進行が早くてちょっとびっくりしたけれども、ルクセンブルクから来ていた旧友と情報交換ができたのは有意義であった。弾丸かつ久しぶりの海外だったこともあって、家に帰ってきたらぐったりと疲れていた。

 

☆☆☆

 

時系列が前後するのだが、上記の渡航前にSIMカードを交換しようとしたら、元々入っていたものが中に入って取り出せなくなってしまい、通話不可のままで向こうに行くことに。なんとかWifiはつなぐことができたので事なきを得たものの、日常生活でちょっとした通話とモバイルデータ通信ができないのはけっこう不便なのだなと実感した。あまりスマホに依存していない生活をしているという自負はあるのだけれど、たぶん視力の低下が示すように、ここ5年ほどでおそらくその依存度は少しずつ上がっていたのだろう。いまは元々持っていたものは修理に出していて、代替機を使用しているのがけれど、こういう状態になるとそのことがよくわかる。

 

☆☆☆

 

早いものでもう今週でQ1も終わりだ。来週から連休まではプロジェクトで忙殺されるだろうけれど、なるべく定期的に記事はアップするようにしたい。質の保証まではしかねるけれども。

啓蟄も過ぎて

日曜の深夜、というか月曜の未明とだというのにまたPCを叩いていてまたよくない。この週末もひたすらTODOをこなしていたらあっという間に終わってしまった。自分が前に進んでいるのかどうなのかさっぱりわからない。パッと書けるレベルの記事しか書けない時間だけれども、一応自分のためにも2、3アップデートを記しておこう。

 

☆☆☆

 

2月のお偉いさんの来日は一応成功。"flawless"という言葉をもらったのでまあ概ねよかったのだと思う。日本人の僕が見てもやりすぎなくらいクオリティには気を遣っていたので、手前味噌ながら妥当な評価だとは思う。

 

☆☆☆

 

↑の件であまりにも疲れたので、一日休みをとって一人で雪山に行く。一人だと何も考えずに滑っていればいいので大変に気が楽である。周りの日本人は大学生と思しき人しかおらず、残りはほぼすべてインバウンド旅行者と思われる中国人だった。

 

☆☆☆

 

今週は久しぶりの渡航で韓国に行く予定。ビジネスではなく友人の結婚式のためなのだが、いい機会なので向こうの同僚にも会ってくる予定。韓国で使われている歴史の教科書を読むのと、スタディカフェ?なるものに行くのが楽しみである。

 

☆☆☆

 

26時なのでさすがにもう床に就かなければ。寝る。

高層ビルとガレー船

いろいろ書きたい書きたいとは思いつつ、アイデアが浮かんでは消えていく。特に非モテと実存に関する文書を書きたいと思ってはいたのだが、それを結晶化するだけの時間も気力もあんまり残っていないのである。たぶん実務的なことにリソースをとられすぎなのだろう。無理もない、過去10日間で僕はお偉いさん向けのレポートを16枚レビュー・添削したのである(もちろん仕事はそれだけではない)。回ってくる資料の英語のレベルはだいたいにおいてpoorであり、それを「英語母語使用者がストレスなく読めるものにする」という、必要だがあまり生産的とは言えない作業に大量の時間を投下して、結果ほとほと疲れてしまった。毎晩そういう作業をKid A(特にNational Anthem)を聴きながらやっていたら、だんだん何が仕事でなにがそうじゃないんだかわからなくなってしまった。

 

というわけで疲れた上に大変寒いのでもう寝る。週末はもっとマトモなことを書きたい。こんな消耗をいつまで続けるのだろう。ここはまるで快適さだけが過度に改善された奴隷船のようだ。

インフル来たる

子どもが持ってきたインフルにいよいよ僕もかかってしまう。金曜は38.6℃の熱の中、なんとかその日の仕事を終え(休めよ)、さすがにこれはマズいと思い近所の内科に行くと、5分くらいでインフルと診察される。イナビルを診察時に服用したものの、すぐに発熱は引きようもないので、さすがに同日は21時に寝ることにした。誰にも邪魔されずに10時間以上寝られることなどめったにないので、体を布団に横たえたとき、久しぶりに心から幸せだと思った。

 

土曜日。どこにも行けないので、昼寝をして起きてはマンガを読むという自堕落な一日を過ごす。根が貧乏性なもので、体調が悪くない限りはとてもこんな日は送れない。というわけでずっと気になっていた『葬送のフリーレン』を一気読みし、家族の話題についていくことができるようになった。夜フランス語を少し読もうと思ったが、1ページ読んだだけでちょっと頭がクラクラしたのでやめることにした。英語の発音練習は通常どおり入浴中に行うことができた。習慣とはすごいものだなとあらためて思う。

 

日曜日。熱はほぼ引いたので、身の回りの整理をルーティンどおりに終え、4人分の昼食をつくり、午後は夜用のおでんを煮込む。なんてことのない日曜。ともあれ、明日からの仕事の山を前にして、体調がある程度戻ってくれたのは僥倖であった。

 

今回学んだことは、①体は資本として重要であること、②体が弱ると、過去の借りや後悔についてくよくよと思いだしてしまうことが多くなること(僕の場合はだいたい一人の人のことが多いのだけれど…)。