梅雨のつれづれ

取り立てて書くべき事項も見当たらないのだが、例によってあんまり書かないのもこのブログの趣旨に反しているので(何しろ"diary"だから)、身の回りのことをいくつかメモ程度のレベルで記載しておく。

 

☆☆☆

 

大学院時代の友人と上野で会う。日曜の上野公園は、家族連れを中心に多くの人で賑わっていた。彼は元気そうではあったものの、正規雇用のポストがやはりなかなか見つからず苦労している様子だった。なんとかよい道が見つかりますように、という思いながらも、「ああ、マトモに就職しておいてよかった…」と思ってしまう僕は冷たい人間なのだろうか(ここでBGMのブランキ―が流れる)。ともあれ、午後の気だるさのなかでちびちびとアイスコーヒー(水出し)を飲むのはよいなと思った。そういうのを人は幸せと呼ぶのかもしれない。

 

ちなみに彼女の名前は出なかったし、出さなかった。40代にしてほんのすこし進歩したようが気がした。

 

☆☆☆

 

フランス語の試験が終わった一方で、6月は仕事がまれにみる閑散期であり、いきおいのんびりとした日々が続いている。3時くらいに「後は家でやります」と帰宅してしまうこともしばしば、といったところである。そんな中で何をしているのかというと、英仏平行での語学の勉強を相変わらずゴリゴリとしている。とは言ってもやることは非常に地味で、帰り道の光景を歩きながらひたすら描写したり(「五反田の街角を行く中年の男女が笑みを浮かべながらラブホテルに入っていった」、とか)、ひたすら辞書を引いたり、発音の練習をしたり、シットコムを観たりしている。どちらも死ぬまでヘタクソのままなのだろうけれど、そういうものがあるのも幸せの形のひとつなのかもしれない。同僚がテスラの乗り心地について幸せそうに語っている一方で、僕はその種の喜びを辞書のなかに見出していることを考えると、まあ安上がりな人間だなという気はする。