40男、B'zを観て泣くの巻

17年ぶりにB’zを観に行く。彼らもいい歳だし(僕も人のことは言えないのだけれど)、来年の今頃には日本を出ている可能性があるので、観られるうちに一度観ておこうと思ったのである。幸い今年はベスト盤のツアーをやっているということで、タイミング的にもちょうどいい。というわけで、社会人になって覚えた、「困ったらとりあえず札束で殴る」という便利な技を即時実行し、1枚チケットを確保する(これが20日くらい前。チケットの高額転売は個人的に法律で全面的に禁止するべきだと思うのだが、ここでは触れない)。あっという間に当日になり、夕方会場に向かう。家から30分くらいなので、ほぼ日常の延長という感覚である。昔は有名どころのライヴに行くとなると、一日がかり、下手すると泊まりということでしかるべき祝祭感があったものだが、コンクリートジャングルの中では大抵のものは日常性の中に包含されてしまう。

 

コンサートが始まる。耳をつんざくようなディストーションの音が、一瞬で僕を過去へと連れていく。良くも悪くも――おそらくはポジティヴな意味で――、音があまりに歳をとっていないのに驚いてしまった。相変わらず暑苦して、やかましい、かつての僕が憧れた2人のままだったのだ。2曲目の”love me, I love you”では、イントロから1コーラスが終わるまで、肩を震わせて泣く。泣くような曲じゃないのに、おかしなものだ。おそらく僕は、この曲を演奏する彼らの中に、かつての自分――おそらくは中学2年生の――の姿を観ていたのだろう。往年のヒット曲が続き、”Calling”でまた嗚咽。「今までもこれからも約束などすることはないだろう」という、彼らの詞の中でもっとも好きな一節で涙が止まらなくなる。40代でもこんなに泣けるんだなと思った。奇しくもというべきか、やはりというべきか、この日最も涙腺に響いたこれらの2曲は、どちらも僕が中高生だったころの曲だ。

 

一方で、2時間も聴いていると、だんだん耳も慣れてきて、いろいろなところが気になるようになってくる。例えば、一部のバラード曲ではギターの音量が大きすぎて明らかにバランスを欠いているように聴こえたし(このあたりはバンド内のパワーバランスがPAにまで影響していることを感じさせる)、演奏上のもたつきも散見された。そして、彼らがこの2時間強で僕に気づかせた最も重要な点は、もはや僕自身が彼らの音楽の中に留保のないコミットメントを捧げることができないという事実である。畢竟、自分にとっての彼らの音楽は「過去への憧憬」であっても、もはや「今を生きるためのそれ」ではないのだ。その点、いいか悪いかは別として、彼らの「変わらなさ」は、逆に言えば「大人のための音楽ではない」とも換言できるだろう。とはいえ、僕は稲葉浩志トム・ウェイツのようになってほしいわけではない。おそらくは彼の「変わらなさ」と暑苦しいギターこそが、彼らのアイデンティティなのだから。自分の中でそうした見切りをしつつも、90年代の残滓を求めてコンサートに足を運ぶ――おそらくはそれも偏愛のひとつの形なのだろう。ともあれ僕にとっては、人生の走馬灯のような2時間強であった。

 

☆☆☆

 

先日受験したフランス語の試験(DALF C1)はなんとか合格していたものの、あまりにもギリギリの点数ということもあり、まったくと言ってよいほど征服感が得られていない。こちらについてはまた稿を改め、夏休みの時間を使って反省をしておきたいと思う。